飼い猫が亡くなった

10年と9ヶ月でしたね。

意外とすんなり飼い猫の死を受け入れられて、ちょっと自分にびっくりしたりなんやりしました。

私はここまで生きてきてまだこういう死を体験した事がなかったので、ちゃんと受け入れられるかな〜と不安でしたけどなんかめちゃくちゃいつも通りで後からなんか来るんじゃないかと逆に不安が継続してます。

1年前から腎不全で余命が少ないと言われてたんですが、ここまで持ったのは本当に偉いですね。偉い猫、偉猫。

悲しいという気持ちがないわけではないのですが、それよりも「豊かさ」みたいな物を感じます。豊かさってなに?なんだろうねぇ……

というか、私飼い猫が死んで2〜3時間後ぐらいには友達に通話して開口一番「きんたま!!!!」とか言ってたの本当にダメですね。

ちなみに旅立ったのは一昨日の事だったんですが、ようやく気持ちがいい感じに落ち着いてきたなぁということで書いています。あとから見返して「この人変な人だなぁ……」としたいので。

気持ちが落ち着いたと言っても、やはりいつも通りとは行きませんね。(ちょっと前までフォロワーとスプラしてたけど)

私、文面だけで見たら飼い猫が亡くなったのにきんたま言ったりスプラしたりしてるマジで愛のなかった人間になってますね。Arcaeaのポテンシャルがかなり伸びました。うれしい。

愛はあった……はずです。しかし、実際亡くなったときのダメージの少なさのせいでかなりその愛に自信が持てなくなっています。私の飼い猫なんだし多分いいでしょ。なんか言うじゃん?ペットは飼い主に似るって。そういうことですね!

猫が亡くなった瞬間の話でもしましょうか。ここに書いて、電子の海に散骨しなければならないのでね。

最後は本当にハーハー言いながら呼吸していて、口からよく分かんない粘液を出していてかなり見ていて心に来ましたね……。私は敢えて死ぬ瞬間には立ち会わないようにしようとしていたのですが、なんかめちゃくちゃうんこしたくなったのでトイレに行こうとしたらそのタイミングにちょうど亡くなったみたいでね……私はその瞬間に「うんこ=死なの!?」という謎の考えが出たりしました。

まぁそれでも、普段と変わらない姿で飼い猫が寝ているので中々亡くなったのが信じ難くてね。運ぶために抱っこしたとき頭がダラーンとなってそこで初めて「死」を感じましたね。あのときに私の死生観とか芸術観とかがギューンって変わった気がします。

10年と9ヶ月、普通よりかなり早いんですかね。それでも、私の人生の半分以上はこの子と居たので早い気はしませんねぇ。

言い残した事もやり残した事も特にありません。生まれ変わったら私好みのめちゃくちゃかわいいロリになれよ〜ぐらいですね。

飼い猫ちゃん、最後まで可愛かったよほんとに。

色々感情はぐ〜るぐるしてますけど、これらを総じて私は「豊かさ」と呼べる気がしますね。

飼い猫ちゃん、今までありがとね〜ノシ